美術様式 · 19世紀中頃〜後半 · フランスとヨーロッパ
アカデミズム絵画:ブグロー、カバネル、ジェロームとサロンの絵画
アカデミズム絵画とは、ヨーロッパの公式な美術アカデミーが教え、評価した絵画の美術様式で、パリのサロン(官展)での成功が画家の経歴を決めた19世紀中頃〜後半のフランスで最盛期を迎えました。アカデミック美術、アカデミックな絵画とも呼ばれます。古代の美術とラファエロを手本とし、歴史画をあらゆる絵画の上に置いて、なめらかで磨き上げた仕上げを重んじました。新古典主義の古典の教育から育った様式です。代表的な画家に、ウィリアム・ブグロー、アレクサンドル・カバネル、ジャン=レオン・ジェローム、トマ・クチュール、フランツ・ヴィンターハルターがいます。
好んだ主題は神話、聖書の物語、古代史、そして理想化された裸婦でした。カバネルの《ヴィーナスの誕生》は1863年のサロンで大成功を収め、皇帝ナポレオン3世が購入しました。同じ年、あまりに多くの画家が落選したため、政府は彼らのために別の「落選展」を開いています。テートが述べるように、「アカデミック」はのちに保守的、時代遅れという意味を帯びましたが、ヒューストン美術館によれば、ブグローの名声は近年ふたたび高まっています。
下に並ぶアカデミズム絵画1,165点は、すべてパブリックドメインで、無料でダウンロードできます。
選定・執筆:Pavel Mazuelas2026年11月5日更新
アカデミズム絵画のすべての作品
肖像画、人物画、風俗画、歴史画や宗教画、素描、神話画。すべてパブリックドメインで、無料でダウンロードできます。
アカデミズム絵画の有名な作品
パリのサロンをはじめ各地で描かれた、よく知られたアカデミズム絵画です。作品をクリックすると、拡大して見たり無料でダウンロードしたりできます。
アカデミズム絵画の代表的な画家
サロンのスターだったブグロー、カバネル、ジェロームから、宮廷肖像画家ヴィンターハルター、ポーランドの歴史画家マテイコとシムレルまで、アカデミズム絵画の中心にいた画家9人です。リンクから、それぞれの絵画をすべて見られます。
ウィリアム・ブグロー1825〜1905年。国立美術学校で学び、神話や裸婦、農民の子どもを描いたサロン向けの絵で財を成しました。ヒューストン美術館は彼を、成功したアカデミズムの画家の典型と呼んでいます。
アレクサンドル・カバネル1823〜1889年。《ヴィーナスの誕生》は1863年のサロンで大成功を収め、ナポレオン3世が購入しました。オルセー美術館は、彼の名人芸的な技法をよく示す作品と呼んでいます。
ジャン=レオン・ジェローム1824〜1904年。アカデミズムの画家ポール・ドラローシュに学び、1847年のサロンでわずか23歳で名声を得て、数々の栄誉に彩られた公的な経歴を歩んだ、とオルセー美術館は述べています。
トマ・クチュール1815〜1879年。1847年のサロンで国が買い上げた《退廃期のローマ人たち》に3年を費やしました。共和主義者で反教権主義者だった彼は、この絵で同時代の醜聞を批判しました。
フランツ・ヴィンターハルター1805〜1873年。ヨーロッパの王侯の肖像画家。ローマのナポレオン博物館によれば、1853年のナポレオン3世と皇后ウジェニーの公式肖像で、帝室の画家に任命されました。
ジュール・ルフェーヴル1836〜1911年。古典的な女性裸体画で知られます。現在ヴィクトリア国立美術館にある《ラ・シガール(せみ)》は、1872年のサロンでラ・フォンテーヌの寓話「せみとあり」を描いたものです。
アンリ・ジェルヴェクス1852〜1929年。仕事中のサロンの審査員を幅4メートル以上の画面に描いた《絵画審査会の一場面》は、1892年に国に寄贈され、現在はオルセー美術館にあります。
ヤン・マテイコ1838〜1893年。分割されていたポーランドの歴史を描きました。ワルシャワ国立美術館によれば、《グルンヴァルトの戦い》は国の復興への信念を強めるためのものでした。
ユゼフ・シムレル1823〜1868年。ワルシャワ国立美術館によれば、《バルバラ・ラジヴィウヴナの死》は1860年に展示されて大きな称賛を受け、彼を当代屈指の画家にしました。
フランスのアカデミズム絵画
ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、フランスのアカデミズムの画家はパリの国立美術学校で学んでサロンに作品を出品し、そこでの批評家の称賛が画家の経歴に何より重要でした。農民の子どもも聖人も、枢機卿も哲学者も、同じように入念な仕上げで描かれました。
アカデミズムの歴史画
ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、聖書や神話、過去の重みのある物語を描く歴史画は、アカデミズムの画家の修業の頂点でした。ヨーロッパ各地のアカデミーが、カエサルの死からポーランド、ハンガリー、ドイツの歴史まで、こうした場面を生み出しました。
アカデミズム絵画の特徴と見分け方

歴史画が第一
巨大な舞台、何十人もの人物、そしてローマの衰退についての教訓。クチュールの饗宴の絵は歴史画です。オルセー美術館は歴史画を19世紀で最も高貴なジャンルと呼び、人間の行いを示して道徳的な教えを伝えるものだったと説明しています。
退廃期のローマ人たち、トマ・クチュール

なめらかな「舐めた」仕上げ
筆跡を探しても、ほとんど見つかりません。クラーク美術館によれば、ブグローの技法は筆跡がほぼ見えないほどなめらかで、当時の批評家はその仕上げを「レシェ(舐めたような)」と呼びました。
ニンフとサテュロス、ウィリアム・ブグロー

理想化された裸婦
ヴィーナスは一点のしみもなく波の上に浮かんでいます。オルセー美術館は神話を理想化された裸婦を描くための口実にすぎないと述べ、テートの雑誌『Tate Etc』は、カバネル、ブグロー、ジェロームのヴィーナスやニンフを、サロンの典型的なアカデミズムの裸婦に挙げています。
ヴィーナスの誕生、アレクサンドル・カバネル

手本としてのラファエロ
母親と子どもたち、眠る少年が整った三角形をつくり、遠くにサン・ピエトロ大聖堂のドームが見えます。クリーヴランド美術館によれば、理想化された人物と三角形の構図はラファエロの聖家族の絵を思わせます。ロンドン・ナショナル・ギャラリーが記すように、それはアカデミーが掲げた古典の手本でした。
休息、ウィリアム・ブグロー

綿密な細部
兜も旗も群衆の顔も、一つひとつがくっきりと描かれています。オルセー美術館はジェロームのネオ・グレック(新ギリシャ)様式を綿密な仕上げへの好みと説明し、詩人ボードレールは彼を「綿密派」の首領とからかいました。
差し下ろされた親指(ポリケ・ウェルソ)、ジャン=レオン・ジェローム

サロンのために描く
ジェルヴェクスは、応募作品に投票するサロンの審査員たちを描きました。オルセー美術館によれば、19世紀後半のサロンは画家が作品を知ってもらえる唯一の展覧会で、国はそこでリュクサンブール美術館のために作品を買い上げました。
絵画審査会の一場面、アンリ・ジェルヴェクス
アカデミズム絵画の前と後:美術史の流れ
新古典主義1750年頃〜1850年頃
ロマン主義1780年頃〜1850年頃
アカデミズム絵画19世紀中頃〜後半
印象派1867年頃〜1886年
象徴主義1886年頃〜1900年頃
アカデミズム絵画と写実主義、印象派の比較
| 比較項目 | アカデミズム絵画 | 写実主義 | 印象派 |
|---|---|---|---|
| 年代 | 19世紀中頃〜後半 | 1840年頃〜1880年頃 | 1867年頃〜1886年 |
| 主題 | 歴史、神話、聖書、理想化された裸婦 | 日常生活、農民や労働者、都市の街路 | 風景と日常生活の場面 |
| 仕上げ | なめらかで磨き上げ、筆跡を隠す | 理想化せず、ありのままに | すばやく分割した色のタッチ |
| 描いた場所 | アトリエで、多くの素描と習作をもとに | 直接の観察にもとづいて | 屋外で、その場で |
| 代表作の例 | カバネル《ヴィーナスの誕生》 | クールベ《オルナンの埋葬》 | モネ《印象・日の出》 |
| 代表的な画家 | ブグロー、カバネル、ジェローム | クールベ、ミレー、ドーミエ | モネ、ルノワール、ドガ |
アカデミズム絵画の代表作と画家の一覧
アカデミズム絵画の有名な作品:作者、制作年、現在の所蔵先の一覧です。
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| 作品名 | 画家 | 制作年 | 技法・素材 | サイズ | 所蔵先 | 都市 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| ヴィーナスの誕生 | ウィリアム・ブグロー | 1879年 | 油彩・カンヴァス | 300 × 215 cm | オルセー美術館 | パリ |
| マダムX(ヴィルジニー・アメリー・アヴェニョ・ゴートロー) | ジョン・シンガー・サージェント | 1883〜1884年 | 油彩・カンヴァス | 208.6 × 109.9 cm | メトロポリタン美術館 | ニューヨーク |
| 地獄のダンテとウェルギリウス | ウィリアム・ブグロー | 1850年 | 油彩・カンヴァス | 280.5 × 225.3 cm | オルセー美術館 | パリ |
| ニンフとサテュロス | ウィリアム・ブグロー | 1873年 | 油彩・カンヴァス | 260.4 × 182.9 cm | クラーク美術館 | ウィリアムズタウン |
| ヴィーナスの誕生 | アレクサンドル・カバネル | 1863年 | 油彩・カンヴァス | 130 × 225 cm | オルセー美術館 | パリ |
| グルンヴァルトの戦い | ヤン・マテイコ | 1878年 | 油彩・カンヴァス | 426 × 987 cm | ワルシャワ国立美術館 | ワルシャワ |
| 差し下ろされた親指(ポリケ・ウェルソ) | ジャン=レオン・ジェローム | 1872年 | 油彩・カンヴァス | 高さ96.5 cm | フェニックス美術館 | フェニックス |
| 人類に恥を知らせるため井戸から出てくる真実 | ジャン=レオン・ジェローム | 1896年 | 油彩・カンヴァス | 91 × 72 cm | アンヌ・ド・ボージュー美術館 | ムーラン |
| 1791年5月3日憲法 | ヤン・マテイコ | 1891年 | 油彩・カンヴァス | 246 × 445 cm | ワルシャワ王宮 | ワルシャワ |
| プロイセンの臣従 | ヤン・マテイコ | 1879〜1882年 | 油彩・カンヴァス | 388 × 785 cm | クラクフ国立美術館 | クラクフ |
| 退廃期のローマ人たち | トマ・クチュール | 1847年 | 油彩・カンヴァス | 472 × 772 cm | オルセー美術館 | パリ |
| 嵐 | ピエール=オーギュスト・コット | 1880年 | 油彩・カンヴァス | 234.3 × 156.8 cm | メトロポリタン美術館 | ニューヨーク |
| アレオパゴス会議のフリュネ | ジャン=レオン・ジェローム | 1861年 | 油彩・カンヴァス | 80 × 128 cm | ハンブルク美術館 | ハンブルク |
| 薔薇を持つ婦人(シャーロット・ルイーズ・バークハート) | ジョン・シンガー・サージェント | 1882年 | 油彩・カンヴァス | 213.4 × 113.7 cm | メトロポリタン美術館 | ニューヨーク |
| 夢 | エドゥアール・ドタイユ | 1888年 | 油彩・カンヴァス | 300 × 400 cm | オルセー美術館 | パリ |
| フロリンダ | フランツ・ヴィンターハルター | 1853年 | 油彩・カンヴァス | 178.4 × 245.7 cm | メトロポリタン美術館 | ニューヨーク |
| オフィーリア | アレクサンドル・カバネル | 1883年 | 油彩・カンヴァス | 77 × 117.5 cm | 個人蔵 | |
| 絵画審査会の一場面 | アンリ・ジェルヴェクス | 1885年以前 | 油彩・カンヴァス | 300 × 419.5 cm | オルセー美術館 | パリ |
| グッビオの狼 | リュック=オリヴィエ・メルソン | 1877年 | 油彩・カンヴァス | 88 × 133 cm | リール宮殿美術館 | リール |
| ゾフィア・ザモイスカ(旧姓ポトツカ)の肖像 | フランツ・ヴィンターハルター | 1870年 | 油彩・カンヴァス | 82 × 65 cm | ワルシャワ国立美術館 | ワルシャワ |
アカデミズム絵画についてのよくある質問
アカデミズム絵画とは?
アカデミズム絵画とは、ゲッティ研究所の『美術・建築シソーラス(AAT)』の定義では、ヨーロッパとアメリカの美術アカデミーの公式な規範と趣味の原則に従った絵画です。ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、アカデミーが推した芸術は古代美術やラファエロのような古典的な画家を手本とし、歴史画を最高の形式とみなしました。アカデミズムとも呼ばれ、パリのサロン(官展)での成功が画家の経歴を決めた19世紀中頃〜後半が最盛期でした。
出典: ゲッティ研究所AAT:academic art · ロンドン・ナショナル・ギャラリー用語集:Art academies · ロンドン・ナショナル・ギャラリー用語集:The Salon · テート『Tate Etc』誌:The nude stripped bare · オルセー美術館(Google Arts & Culture)
アカデミズム絵画の特徴は?
アカデミズム絵画は、入念に素描され、なめらかに仕上げられた、歴史、神話、聖書、理想化された裸婦といった格調高い主題の絵です。クラーク美術館によれば、ブグローの仕上げは筆跡がほとんど見えないほどなめらかで、当時の批評家は「レシェ(舐めたような)」と呼びました。こうした大作は、国立美術学校の教えどおり、多くの素描と油彩の習作を経て準備されました。オルセー美術館は、ジェロームのネオ・グレック様式を、綿密な仕上げ、淡い色、なめらかな筆づかいへの好みと説明しています。
出典: クラーク美術館:Nineteenth-Century European Paintings, cat. 33 · オルセー美術館(Google Arts & Culture) · ロンドン・ナショナル・ギャラリー用語集:Art academies
アカデミック美術とアカデミズム絵画は同じ?
はい、同じものを指します。「アカデミズム絵画」「アカデミック美術」「アカデミックな絵画」は、どれも英語の academic art の訳語です。ゲッティのAATはこれを、ヨーロッパとアメリカの美術アカデミーの公式な規範と趣味の原則に従った美術と定義しており、19世紀中頃〜後半のパリのサロン(官展)の絵画が代表です。なお、テートによれば、「アカデミックな美術」という言葉は今では、保守的、時代遅れという否定的な意味も帯びています。
アカデミズム絵画はいつ流行した?
アカデミズム絵画は19世紀中頃〜後半に最盛期を迎えました。オルセー美術館によれば、当時パリのサロン(官展)は、画家が作品を知ってもらえる、大衆的でかつ公式な唯一の展覧会でした。アカデミー自体はもっと古く、フランスの王立絵画彫刻アカデミーは1648年の創立です。テートによれば、19世紀半ばのアカデミーはきわめて保守的で、大きな展覧会の独占を利用して自然主義、写実主義、印象派に抵抗したため、画家たちは別の展覧会や画廊を立ち上げ、「アカデミック」は時代遅れを意味するようになりました。
アカデミズム絵画の代表的な画家は?
最もよく知られたアカデミズムの画家は、フランスのウィリアム・ブグロー、アレクサンドル・カバネル、ジャン=レオン・ジェロームです。ヒューストン美術館はブグローを成功したアカデミズムの画家の典型と呼びます。オルセー美術館によれば、カバネルの《ヴィーナスの誕生》は1863年のサロンで大成功を収めてナポレオン3世に買われ、ドラローシュの弟子ジェロームは1847年のサロンで華々しくデビューしました。トマ・クチュール、ジュール・ルフェーヴル、エドゥアール・ドタイユもサロンで名を成し、ヴィンターハルターはヨーロッパの宮廷を描きました。
出典: ヒューストン美術館(Google Arts & Culture) · オルセー美術館(Google Arts & Culture) · オルセー美術館(Google Arts & Culture) · オルセー美術館(Google Arts & Culture) · ヴィクトリア国立美術館(Google Arts & Culture) · オルセー美術館(Google Arts & Culture) · ナポレオン博物館(ローマ)(Google Arts & Culture)
アカデミズム絵画の有名な作品は?
アカデミズム絵画の有名な作品には、カバネル《ヴィーナスの誕生》(1863年)、ブグロー《ヴィーナスの誕生》(1879年)、クチュール《退廃期のローマ人たち》(1847年)、ジェローム《差し下ろされた親指(ポリケ・ウェルソ)》(1872年)、マテイコ《グルンヴァルトの戦い》(1878年)があります。オルセー美術館によれば、カバネルの作品は1863年のサロンで大成功を収めてナポレオン3世が購入し、クチュールが3年を費やした歴史画は1847年のサロンで買い上げられました。
出典: オルセー美術館(Google Arts & Culture) · オルセー美術館(Google Arts & Culture)
フランスのアカデミズム絵画とは?
フランスのアカデミズム絵画とは、フランスの公式な美術機関が教え、評価した絵画です。その機関とは、1648年に創立されて革命後に芸術アカデミーと改められた王立絵画彫刻アカデミー、ブグローらが学んだパリの国立美術学校(エコール・デ・ボザール)、そしてサロンでした。若い画家はローマのメディチ荘への道を開くローマ賞を競い、オルセー美術館によれば、ブグローは1848年と1849年に受賞を逃しています。ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、画家の経歴には何よりサロンでの称賛が重要でした。
出典: テート:Academy · クラーク美術館:Nineteenth-Century European Paintings, cat. 33 · オルセー美術館(Google Arts & Culture) · オルセー美術館(Google Arts & Culture) · ロンドン・ナショナル・ギャラリー用語集:The Salon
パリのサロン(官展)とは?
サロンは、フランスの王立アカデミーとその後継の芸術アカデミーが主催した、パリの公式な美術展覧会です。テートによれば、1725年からルーヴル宮殿のサロン・カレ(方形の間)で開かれたことから、この名がつきました。1860年頃にはあまりに多くの画家が落選するようになり、1863年、政府は彼らのために別の「落選展」を開きました。オルセー美術館は、アカデミズムの殿堂と長く見なされてきたサロンが、実際にはさまざまな絵画を競わせていたと述べています。
出典: テート:Salon · ロンドン・ナショナル・ギャラリー用語集:The Salon · オルセー美術館(Google Arts & Culture)
アカデミズム絵画にはなぜ裸婦が多い?
神話や古代史を主題にすれば、アカデミズムの画家は理想化された裸婦を堂々と描けたからです。オルセー美術館は、カバネルの《ヴィーナスの誕生》では神話の主題が裸婦を描く口実にすぎないと述べています。クラーク美術館によれば、ブグローの名は官能的な女性裸体画の代名詞で、《ニンフとサテュロス》は古典の主題とアカデミーのお墨付きによって受け入れられました。1865年のサロンで、女神ではなく現代の女性を描いたマネの《オランピア》が人々に衝撃を与えたことを、テートの雑誌『Tate Etc』は振り返っています。
出典: オルセー美術館(Google Arts & Culture) · クラーク美術館:Nineteenth-Century European Paintings, cat. 33 · テート『Tate Etc』誌:The nude stripped bare
アカデミズム絵画と印象派の違いは?
アカデミズムの画家はアトリエで制作し、絵をなめらかに磨き上げて仕上げました。印象派の画家は、移ろう光の効果をとらえるため、屋外ですばやく、分割した色のタッチで描きました。テートによれば、アカデミズム絵画は公式のサロンのために描かれ、印象派は1874年から1886年までパリで独自のグループ展を開きました。そのころアカデミーは、大きな展覧会の独占を利用して印象派とそれに続く運動に抵抗していた、ともテートは述べています。
出典: テート:Impressionism · テート:Academy · クラーク美術館:Nineteenth-Century European Paintings, cat. 33
アカデミズム絵画と新古典主義、ロマン主義の違いは?
新古典主義は、テートによれば1750年頃から現れた特に純粋な古典主義です。アカデミズム絵画はその古典の教育から育ち、19世紀中頃〜後半のサロンを埋めたアカデミーの公式な様式でした。後期の画家はさまざまな手本を自由に取り混ぜ、オルセー美術館によれば、カバネルの《ヴィーナスの誕生》はアングルへの参照と18世紀の画風を、第二帝政らしい折衷の精神で組み合わせています。ロマン主義とも重なり、ジェロームの師ドラローシュは、古典主義と新しいロマン主義の中間をいく作風で人気を集めました。
出典: テート:Neoclassicism · オルセー美術館(Google Arts & Culture) · ロンドン・ナショナル・ギャラリー用語集:Art academies · ウォーカー・アート・ギャラリー(Google Arts & Culture)
歴史画とは?
歴史画とは、聖書や神話、文学、過去の出来事から重みのある物語をとった絵画で、アカデミーはこれをあらゆる絵画の上に置きました。ロンドン・ナショナル・ギャラリーは歴史画を、アカデミズムの画家の修業の頂点で、文学の叙事詩や悲劇にあたるものと呼び、テートはそれにふさわしい様式を、古典的で理想化された「グランド・スタイル(壮大な様式)」としています。オルセー美術館が道徳的な教えを伝える歴史画と呼ぶ、クチュールの《退廃期のローマ人たち》が有名な例です。
出典: ロンドン・ナショナル・ギャラリー用語集:History paintings · テート:History painting · オルセー美術館(Google Arts & Culture)
アカデミズム絵画はなぜ衰退した?
アカデミーが保守化して、新しい芸術を締め出そうとしたからです。テートによれば、アカデミーは自然主義、写実主義、印象派に抵抗しましたが、画家たちは独自の展覧会や画商によってアカデミーを迂回し、「アカデミック」は時代遅れを意味するようになりました。批評家は磨き上げた仕上げも攻撃し、クラーク美術館はブグローの「型にはまった優美さ」や現実の生活からの逃避への批判を引いています。その評価はのちに回復し、ヒューストン美術館は、ブグローの名声が近年ふたたび高まっていると述べています。
出典: テート:Academy · クラーク美術館:Nineteenth-Century European Paintings, cat. 33 · ヒューストン美術館(Google Arts & Culture)
アカデミズム絵画はパブリックドメイン?無料でダウンロード・商用利用できる?
はい。ブグロー、カバネル、ジェロームをはじめ、当サイトで紹介するアカデミズム絵画の画家は全員1929年までに亡くなっており、その絵画はアメリカと、作者の死後70年で著作権が切れる国々でパブリックドメインです。無料でダウンロードでき、商用利用もできます。ただし美術作品の写真に独自の規則をもつ国もあるため、アメリカ以外で公開するときは確認してください。商用利用できるパブリックドメインの絵画・画像もご覧ください。
有名な作品の選び方
ここに並ぶ有名な作品は、世界でどれだけ広く知られているかをもとに選んだアカデミズム絵画です。知名度は、それぞれの作品について百科事典の項目がある言語の数で測り、2026年11月に確認しました。1人の画家につき3点までとしたため、ブグローの《暁》と《最初の喪》、ジェロームの《ピュグマリオンとガラテア》は含まれていません。
当サイトのカタログ、ウィキデータ、または所蔵美術館がアカデミズム絵画に分類し、1955年までに亡くなった画家の作品を選びました。ジェロームの《スフィンクスの前のボナパルト》(オリエンタリズム)やアルマ=タデマの《ヘリオガバルスの薔薇》(ヴィクトリア朝絵画)のように、当サイトのほかの様式のページですでに紹介している作品はそちらに任せ、ジェロームの《アレオパゴス会議のフリュネ》は最初の列ではなく一覧の後半に置いています。有名なアカデミズム絵画のいくつかがまだ当サイトのカタログにないため、ほかの様式のページより一覧が短くなっています。
制作年、サイズ、所蔵先は、各美術館の記録とウィキデータによります。
誤りに気づいたらお知らせください。確認して訂正します。



































































































