芸術運動 · 1520年頃〜1600年頃 · イタリア
マニエリスムの絵画:エル・グレコ、ブロンズィーノ、アルチンボルド
マニエリスムとは、1520年頃のイタリアで、ラファエロやミケランジェロの後継者たちが盛期ルネサンスの調和をわざと技巧的なものに変えて生まれた芸術運動です。名前はイタリア語の「マニエラ(maniera=手法・様式)」に由来します。マニエリスムの絵画は、細長く優美な人物、複雑なポーズ、不自然で装飾的な色彩を特徴とします。この様式は1600年頃まで続き、フィレンツェとローマからヨーロッパ各地へ広がりました。マニエリスムの画家にはポントルモ、ロッソ・フィオレンティーノ、パルミジャニーノ、アーニョロ・ブロンズィーノ、ティントレット、エル・グレコ、そして果物や野菜で顔を描いたジュゼッペ・アルチンボルドがいます。
スペインのトレドでエル・グレコが描いた《オルガス伯の埋葬》は、たいまつだけに照らされた暗い地上の葬儀と、その上に広がる明るい天上という2つの世界からなります。1588年に納品されたときの評価額は1,200ドゥカードで、教区司祭は高すぎると考えましたが、大司教の評議会が支払いを命じました。マニエリスムという言葉は建築にも使われ、ジュリオ・ロマーノのパラッツォ・テがその代表例です。
下に並ぶマニエリスムの絵画と作品580点は、すべてパブリックドメインで、無料でダウンロードできます。
選定・執筆:Pavel Mazuelas2026年11月5日更新
マニエリスムのすべての絵画と作品
多くはエル・グレコの宗教画と肖像画で、神話画や寓意画、わずかな素描と彫刻もあります。すべてパブリックドメインで、無料でダウンロードできます。
マニエリスムの有名な絵画
フィレンツェとローマからトレドまで、マニエリスムの代表作です。作品をクリックすると、拡大して見たり、無料でダウンロードしたりできます。
マニエリスムの代表的な画家
フィレンツェ、パルマ、ヴェネツィアからトレド、プラハ、ハールレムまで、マニエリスムの中心となった10人の画家です。名前のリンクから、それぞれの作品をすべて見られます。
エル・グレコ1541〜1614年。クレタ島に生まれ、ヴェネツィアで修業してそこで強烈で色彩豊かなマニエリスムの様式を築きました。1577年までにトレドに定住し、主にその町の教会のために描きました。
ポントルモ1494〜1557年。本名はヤコポ・カルッチで、トスカーナの生まれ故郷の名で呼ばれます。ロンドン・ナショナル・ギャラリーは初期の表現的なマニエリスムの中心人物と呼んでいます。ブロンズィーノは彼の弟子です。
ロッソ・フィオレンティーノ1494〜1540年。名前は「フィレンツェの赤毛」の意味で、ポントルモとともに初期マニエリスムの先駆者でした。1527年のローマ劫掠ののちフランスへ渡り、フォンテーヌブロー宮殿を装飾しました。
パルミジャニーノ1503〜1540年。パルマに生まれ、ロンドン・ナショナル・ギャラリーによればマニエリスムの創始者の一人で、その代表的な画家です。1524年から1527年のローマ劫掠までローマで、その後ボローニャとパルマで活動しました。
アーニョロ・ブロンズィーノ1503〜1572年。ポントルモの弟子で、16世紀半ばのフィレンツェを代表する画家です。コジモ1世・デ・メディチ、エレオノーラ・ディ・トレドとその宮廷の肖像で特に有名です。
ティントレット1518年頃〜1594年。劇的な大画面の物語画で知られるヴェネツィアの画家で、ティツィアーノの色彩とミケランジェロの形を結びつけようとしました。ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、一般にマニエリストとされます。
ジュゼッペ・アルチンボルド1593年没。ミラノの画家で、1562年にハプスブルク家の宮廷に入り、ウィーンとプラハで皇帝フェルディナント1世、マクシミリアン2世、ルドルフ2世に仕えました。果物や花、本で組み立てた頭を描きました。
アレッサンドロ・アローリ1535〜1607年。ブロンズィーノに学んだフィレンツェの画家で、メディチ家の宮廷のために制作しました。大公妃ビアンカ・カペッロと息子の肖像は、現在ダラス美術館にあります。
コルネリス・ファン・ハールレム1562〜1638年。ヘンドリック・ホルツィウス、カレル・ファン・マンデルとともにハールレムのマニエリストを率いた画家で、その様式はプラハのルドルフ2世の宮廷から来たものでした。
バルトロメウス・スプランゲル1546〜1611年。アントワープに生まれ、プラハで皇帝ルドルフ2世の宮廷画家を務めました。アムステルダム国立美術館は、小さな頭をもつ背の高いほっそりした人物を彼の様式の特徴としています。
エル・グレコの絵画
ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、クレタ島生まれのエル・グレコはヴェネツィアで修業し、その地で強烈で色彩豊かなマニエリスムの様式を築いて、1577年までにトレドに定住しました。晩年の《ラオコーン》は、エル・グレコが古典古代の主題を描いたことが知られる唯一の作品で、身をよじるような線とどぎつい色彩を見せています。
マニエリスムの肖像画
ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、ブロンズィーノはとりわけコジモ1世・デ・メディチ、妃エレオノーラ、その子どもたちと宮廷の人々の肖像で有名です。ワシントン・ナショナル・ギャラリーによれば、ブロンズィーノの師ポントルモは、たっぷりとしたケープの量感と対比させて、モンシニョールの小さな頭をいっそう小さく見せています。
マニエリスムの絵画の特徴と見分け方

自然より技巧
ブロンズィーノは筆の跡を消してエナメルのような画面をつくり、大理石のような手足をまぶしい白い光で照らしました。ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、マニエリスムの芸術は盛期ルネサンスの調和、比例、自然らしさに反発したものでした。
愛の寓意(ヴィーナス、キューピッド、愚行と時)、アーニョロ・ブロンズィーノ

引き伸ばされ、ねじれる体
ロッソのキリストは、重く細長い体をぐったりと横に傾け、浅い空間に押し込められた天使たちに囲まれています。ボストン美術館はマニエリスムの特徴を、強烈で風変わりな色彩、混み合った曖昧な空間、細長く、しばしばねじれた人物とまとめています。
天使に囲まれた死せるキリスト、ロッソ・フィオレンティーノ

不自然な色彩と空間
エル・グレコの蛇や青白い体、トレドの嵐の空は、ふつうの光や遠近法に従っていません。ワシントン・ナショナル・ギャラリーは、そこに身をよじるような線、どぎつい色彩、非論理的に構想された空間、自然に反する肌の色を指摘しています。
ラオコーン、エル・グレコ

ゆがんだ比例と落ち着かない空間
洗礼者ヨハネは極端に長い指で上を指し、聖母の脚は繊細な頭や首に比べて大きく、聖ヒエロニムスは筋の通らない空間で眠っています。ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、この落ち着かない空間構成を、のちにマニエリストと呼ばれる画家たちに典型的なものとしています。
聖ヒエロニムスの幻視、パルミジャニーノ

冷ややかで磨き上げた宮廷肖像画
公爵夫人は彫像のようにじっと座り、錦織の糸の一本一本、真珠の一粒一粒が同じ丁寧さで描かれています。ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、メディチ家の宮廷画家ブロンズィーノは、とりわけこうした肖像画で知られています。
エレオノーラ・ディ・トレドと息子ジョヴァンニの肖像、アーニョロ・ブロンズィーノ

2つの様式で描いた地上と天上
エル・グレコは下の葬儀を黒と灰色で、たいまつの光だけで照らして描き、上の天上を青、赤、緑で描きました。サント・トメ教会は、この2つの世界が様式、光、色彩によって分けられていると説明しています。
オルガス伯の埋葬、エル・グレコ
マニエリスムの前と後:美術史の流れ
ルネサンス美術1400年頃〜1600年頃
北方ルネサンス15〜16世紀
マニエリスム1520年頃〜1600年頃
バロック美術1590年頃〜1750年頃
ロココ美術1715年頃〜1770年代
マニエリスムとルネサンス、バロックの違い
| 比較項目 | ルネサンス美術 | マニエリスム | バロック美術 |
|---|---|---|---|
| 年代 | 1400年頃〜1600年頃 | 1520年頃〜1600年頃 | 1590年頃〜1750年頃 |
| 構図 | 均衡と調和 | 人工的で、混み合い、複雑 | 力強い対角線と曲線、動きに満ちる |
| 人物 | 古代ギリシャ・ローマを手本に理想化 | 細長く優美で、しばしばねじれる | 本物らしく、しばしば普通の人々 |
| 色彩 | 自然な色彩と光 | 強く不自然で装飾的な色彩 | 明暗の強い対比 |
| 代表作 | レオナルド《モナ・リザ》 | エル・グレコ《オルガス伯の埋葬》 | ベラスケス《ラス・メニーナス》 |
| 代表的な画家 | レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロ | ポントルモ、ブロンズィーノ、ティントレット、エル・グレコ | カラヴァッジョ、ルーベンス、ベラスケス |
マニエリスムの代表作と画家の一覧
マニエリスムの有名な絵画を、作者、制作年、現在の所蔵先とともにまとめました。
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| 作品名 | 画家 | 制作年 | 技法・素材 | サイズ | 所蔵先 | 都市 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| オルガス伯の埋葬 | エル・グレコ | 1586〜1588年 | 油彩・カンヴァス | 480 × 360 cm | サント・トメ教会 | トレド(スペイン) |
| トレド眺望 | エル・グレコ | 1599年頃〜1600年 | 油彩・カンヴァス | 121.3 × 108.6 cm | メトロポリタン美術館 | ニューヨーク |
| 長い首の聖母 | パルミジャニーノ | 1534〜1540年 | 油彩・板 | 219 × 132 cm | ウフィツィ美術館 | フィレンツェ |
| 愛の寓意(ヴィーナス、キューピッド、愚行と時) | アーニョロ・ブロンズィーノ | 1545年頃 | 油彩・板 | 146.1 × 116.2 cm | ロンドン・ナショナル・ギャラリー | ロンドン |
| 最後の晩餐 | ティントレット | 1592〜1594年 | 油彩・カンヴァス | 370 × 570 cm | サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂 | ヴェネツィア |
| 聖衣剥奪(エル・エスポリオ) | エル・グレコ | 1577〜1579年 | 油彩・カンヴァス | 285 × 173 cm | トレド大聖堂 | トレド(スペイン) |
| エレオノーラ・ディ・トレドと息子ジョヴァンニの肖像 | アーニョロ・ブロンズィーノ | 1544〜1545年 | 油彩・板 | 115 × 96 cm | ウフィツィ美術館 | フィレンツェ |
| ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世 | ジュゼッペ・アルチンボルド | 1590年 | 油彩・板 | 68 × 56 cm | スコークロステル城 | スコークロステル |
| 教皇パウルス3世とその孫たち | ティツィアーノ | 1545〜1546年 | 油彩・カンヴァス | 210 × 176 cm | カポディモンテ美術館 | ナポリ |
| 奴隷を解放する聖マルコ | ティントレット | 1547〜1548年 | 油彩・カンヴァス | 415 × 541 cm | アカデミア美術館 | ヴェネツィア |
| ウルカヌスに驚かされるヴィーナスとマルス | ティントレット | 1555年頃 | 油彩・カンヴァス | 135 × 198 cm | アルテ・ピナコテーク | ミュンヘン |
| ネプトゥヌスに扮したアンドレア・ドーリア | アーニョロ・ブロンズィーノ | 1545年頃〜1546年 | 油彩・カンヴァス | 199.5 × 149 cm | ブレラ美術館 | ミラノ |
| 凸面鏡の自画像 | パルミジャニーノ | 1523〜1524年 | 油彩・板 | 直径24.4 cm | ウィーン美術史美術館 | ウィーン |
| チェスの試合 | ソフォニスバ・アングイッソラ | 1555年 | 油彩・カンヴァス | 72 × 97 cm | ポズナン国立美術館 | ポズナン |
| 司書 | ジュゼッペ・アルチンボルド | 1562年 | 油彩・カンヴァス | 97 × 71 cm | スコークロステル城 | スコークロステル |
| 受胎告知 | ティツィアーノ | 1563年頃〜1566年 | 油彩・カンヴァス | 403 × 235 cm | サン・サルヴァドール聖堂 | ヴェネツィア |
| 聖ヒエロニムスの幻視 | パルミジャニーノ | 1526〜1527年 | 油彩・板 | 342.9 × 148.6 cm | ロンドン・ナショナル・ギャラリー | ロンドン |
| 法律家 | ジュゼッペ・アルチンボルド | 1566年 | 油彩・カンヴァス | 64 × 51 cm | スウェーデン国立美術館 | ストックホルム |
| 画家の父と妹、弟の肖像 | ソフォニスバ・アングイッソラ | 1559年頃 | 油彩・カンヴァス | 157 × 122 cm | ニヴォー美術館 | ニヴォー |
| エテロの娘たちを守るモーセ | ロッソ・フィオレンティーノ | 1523〜1527年 | 油彩・カンヴァス | 160 × 117 cm | ウフィツィ美術館 | フィレンツェ |
| 槍斧兵の肖像 | ポントルモ | 1529年頃 | 油彩・板(カンヴァスに移し替え) | 92 × 72 cm | J・ポール・ゲティ美術館 | ロサンゼルス |
| ユピテルとアンティオペ(パルドのヴィーナス) | ティツィアーノ | 1552年頃 | 油彩・カンヴァス | 196 × 385 cm | ルーヴル美術館 | パリ |
| 十字架降架 | ロッソ・フィオレンティーノ | 1521年 | 油彩・板 | 375 × 196 cm | ヴォルテッラ市立美術館 | ヴォルテッラ |
| 聖母のエリサベト訪問 | ポントルモ | 1528年頃〜1529年 | 油彩・板 | 202 × 156 cm | サンティ・ミケーレ・エ・フランチェスコ聖堂 | カルミニャーノ |
| キリスト降架 | ポントルモ | 1525〜1528年 | 油彩・板 | 313 × 192 cm | サンタ・フェリチタ聖堂 | フィレンツェ |
マニエリスムについてのよくある質問
マニエリスムとは?わかりやすくいうと?
マニエリスムとは、わかりやすくいうと、1520年頃から1600年頃にかけて、盛期ルネサンスの後のイタリアで広まった優美で人工的な美術様式です。テートによれば、ラファエロとミケランジェロの後継者たちの様式で、人工性と優美さ、人体の官能的なゆがみを特徴とします。後継者たちは師の調和をそのまま受け継がず、技巧を見せつける、きわめて人工的な構図をつくりました。ゲッティ研究所の『美術・建築シソーラス(AAT)』は、幻想性、色彩の実験、細長く青白い、誇張された優美さをもつ新しい人体像を挙げています。
マニエリスムの語源は?「マニエラ」とは?
マニエリスムの名前は、イタリア語の「マニエラ(maniera)」に由来します。大日本印刷が運営するartscapeの用語集「アートワード」によれば、マニエラは「手法・スタイル」を意味し、盛期ルネサンスの時代には「優美さ」とほぼ同じ意味の言葉でした。マニエリスムの作品が放つ独特の異様さは、このマニエラを追求した結果であり、不思議に見えながらも洗練された芸術の性格を残している、と同用語集は説明しています。様式名としては1510〜1520年頃から1590年頃のイタリア美術を指し、17世紀初めまでのヨーロッパ各地の動向も含みます。
マニエリスムの絵画の特徴は?
マニエリスムの絵画の特徴は、ボストン美術館のまとめによれば、細長く、しばしばねじれた人物、混み合った曖昧な空間、強烈で風変わりな色彩です。ロンドン・ナショナル・ギャラリーはさらに、念入りに仕上げられ、意識的に様式化された外観、ミケランジェロを手本に理想化された人物、装飾と表現のための不自然な色彩、わざと複雑で機知に富んだ構図を挙げています。同館によれば、ブロンズィーノの《愛の寓意》は、エナメルのような画面、大理石のような手足、ほとんど奥行きのない空間で、これらの特徴をすべて備えています。
出典: ボストン美術館(Google Arts & Culture) · ロンドン・ナショナル・ギャラリー用語集:Mannerist · ロンドン・ナショナル・ギャラリー
マニエリスムはいつ、どこで始まった?
マニエリスムは1520年頃にイタリアのフィレンツェとローマで始まり、1600年頃まで続きました。時期はテートが1520年頃〜1600年頃、ゲッティ研究所の『美術・建築シソーラス(AAT)』が1520年代〜1590年頃としており、AATは主にローマで発展したと説明しています。最初の画家はフィレンツェのポントルモとロッソ・フィオレンティーノでした。1527年のローマ劫掠ののち、ロッソは北へ移り、1530年にフランスへ渡ってフォンテーヌブロー宮殿で働きました。エル・グレコはスペインのトレドへこの様式を持ち込みました。1600年頃には、アンニーバレ・カラッチがイタリア美術をマニエリスムの行き過ぎから救ったと見なされるようになりました。
出典: テート:Mannerist · ゲッティ研究所AAT:Mannerist · テート:Renaissance · ロンドン・ナショナル・ギャラリー:Annibale Carracci · メトロポリタン美術館 · ロンドン・ナショナル・ギャラリー:Joachim Wtewael · ロンドン・ナショナル・ギャラリー用語集:Mannerist · ロンドン・ナショナル・ギャラリー:Rosso Fiorentino · ロンドン・ナショナル・ギャラリー:El Greco
マニエリスムの代表的な画家は?
マニエリスムの代表的な画家は、イタリアのポントルモ、ロッソ・フィオレンティーノ、パルミジャニーノ、ブロンズィーノ、ヴェネツィアのティントレット、スペインのエル・グレコです。ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、ポントルモを初期の表現的なマニエリスムの中心人物、ロッソをその先駆者、パルミジャニーノを創始者の一人、ポントルモの弟子ブロンズィーノを16世紀半ばのフィレンツェを代表する画家と呼んでいます。同館によれば、ティントレットは一般にマニエリストとされ、エル・グレコはヴェネツィアで強烈で色彩豊かなマニエリスムの様式を築きました。北方ではコルネリス・ファン・ハールレム、ヘンドリック・ホルツィウス、カレル・ファン・マンデルがハールレムのマニエリストを率いました。
出典: ロンドン・ナショナル・ギャラリー:Pontormo · ロンドン・ナショナル・ギャラリー:Rosso Fiorentino · ロンドン・ナショナル・ギャラリー:Parmigianino · ロンドン・ナショナル・ギャラリー:Bronzino · ロンドン・ナショナル・ギャラリー:Jacopo Tintoretto · ロンドン・ナショナル・ギャラリー:El Greco · ロンドン・ナショナル・ギャラリー:Cornelis van Haarlem
マニエリスムの代表作は?
マニエリスムの代表作には、パルミジャニーノの《長い首の聖母》、ブロンズィーノの《愛の寓意》、ポントルモの《キリスト降架》、エル・グレコの《オルガス伯の埋葬》があります。ブロンズィーノの《エレオノーラ・ディ・トレドと息子ジョヴァンニの肖像》、ロッソ・フィオレンティーノの《天使に囲まれた死せるキリスト》、アルチンボルドの《ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世》もよく知られ、ポントルモの《キリスト降架》は今もフィレンツェのサンタ・フェリチタ聖堂にあります。ロンドン・ナショナル・ギャラリーは《愛の寓意》を、博識で宮廷的なマニエリスムの芸術を象徴する作品と呼んでいます。
出典: ロンドン・ナショナル・ギャラリー · ウフィツィ美術館:Madonna with the Long Neck(Google Arts & Culture) · ウフィツィ美術館(Google Arts & Culture) · スコークロステル城:Vertumnus(Google Arts & Culture) · ボストン美術館(Google Arts & Culture) · フレンズ・オブ・フローレンス:Pontormo, Deposition from the Cross
アルチンボルドとは?野菜や果物で描いた《四季》とは?
ジュゼッペ・アルチンボルド(1593年没)はミラノ出身の画家で、果物や野菜、花、本を組み合わせて人の頭を描いた絵で知られます。1562年にハプスブルク家の宮廷に入り、ウィーンとプラハで3代の皇帝に仕えました。《四季》はその代表的な連作で、ウィーン美術史美術館によれば1563年に、おそらく大公マクシミリアン(のちの皇帝マクシミリアン2世)のために描かれ、それぞれの季節にふさわしい植物や動物、物で頭が組み立てられています。この連作の《夏》と《冬》は同館にあり、ルーヴル美術館には後年に描かれた連作がそろっています。
出典: ウィーン美術史美術館:Arcimboldo, Summer(Google Arts & Culture) · スコークロステル城:Vertumnus(Google Arts & Culture) · スコークロステル城:The Librarian(Google Arts & Culture)
エル・グレコの作風は?大原美術館の《受胎告知》とは?
エル・グレコの作風は、細長い人物、不自然な色彩、幻視的な光をもつ、強烈で色彩豊かなマニエリスムです。ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、エル・グレコはクレタ島に生まれてビザンティン美術の深い影響を受け、ヴェネツィアでティツィアーノに師事したほか、ティントレットやバッサーノ一族からも学びました。1570年にはローマでミケランジェロとラファエロを研究し、1577年までにトレドに定住しています。倉敷の大原美術館にある《受胎告知》(1590年頃〜1603年)は、1922年に画家の児島虎次郎が大原孫三郎の支援を得てパリで購入したもので、同館は戦前から日本にあった唯一のエル・グレコの油彩画としています。
出典: ロンドン・ナショナル・ギャラリー:El Greco · ワシントン・ナショナル・ギャラリー:Laocoön(Google Arts & Culture) · 大原美術館:エル・グレコ《受胎告知》よみがえる色彩の輝き
ミケランジェロはマニエリスム?
ミケランジェロは一般に盛期ルネサンスの巨匠に数えられますが、その作品はマニエリスムの最大の源泉でした。ロンドン・ナショナル・ギャラリーはミケランジェロを盛期ルネサンスの英雄と呼び、複雑にねじれたポーズをとる無数の人物と、あふれるような色彩に満ちたシスティーナ礼拝堂の天井画こそが、マニエリスムの様式の主な源だとしています。テートはマニエリスムを1520年頃〜1600年頃のラファエロとミケランジェロの後継者たちの様式と定義していますが、ミケランジェロ自身もこの時期の1536〜1541年に、礼拝堂の祭壇の壁に《最後の審判》を描きました。
出典: ロンドン・ナショナル・ギャラリー:Michelangelo · テート:Mannerist · ヴァチカン美術館:Sistine Chapel
マニエリスムとルネサンスの違いは?
マニエリスムとルネサンスの違いは、目指したものにあります。ルネサンス美術の絵画が調和と均衡、自然に見える人物を目指したのに対し、1520年頃からその後を継いだマニエリスムは、人物をわざと人工的に、細長く、複雑にしました。テートによれば、マニエリストたちはラファエロとミケランジェロの調和の理想をそのまま受け継がず、さらに一歩進んで非常に人工的な構図をつくりました。ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、マニエリスムの芸術は盛期ルネサンスの調和、比例、自然らしさの理想に反発し、知的な洗練、不自然な優美さ、技巧、不安定さを強調したと説明しています。
マニエリスムとバロックの違いは?
マニエリスムは1520年頃〜1600年頃の優美で人工的な様式で、バロック美術はそのあと1590年頃から広がった、劇的で写実的な美術です。マニエリスムが細長くねじれた人物、複雑で人工的な構図、不自然な色彩を好んだのに対し、ローマで生まれたバロックは、テートによれば、ダイナミックな動き、実際の出来事に立ち会っているような印象を見る人に与える大胆な写実、感情への直接的な訴えを特徴とします。ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、ローマに移ったアンニーバレ・カラッチは、イタリア美術をマニエリスムの行き過ぎから救った画家と見なされるようになりました。
出典: テート:Mannerist · テート:Baroque · ロンドン・ナショナル・ギャラリー:Annibale Carracci
マニエリスムの肖像画の特徴と技法は?
マニエリスムの肖像画の特徴は、ほかのマニエリスムの絵画と同じく、なめらかに磨き上げた画面、強い人工的な光、移ろうような不自然な色彩です。ロンドン・ナショナル・ギャラリーはブロンズィーノの寓意画《愛の寓意》について、筆の跡を消したエナメルのような画面、輪郭のはっきりした大理石のような手足を照らす白く明るい人工の光、背景のない浮き彫りのように浅い構図、ラピスラズリからつくった群青、玉虫織りのように色が変わるカンジャンテの色彩を指摘しています。メディチ家の宮廷画家ブロンズィーノは、とりわけコジモ1世や妃エレオノーラ、その宮廷の人々の肖像で有名です。
出典: ロンドン・ナショナル・ギャラリー · ゲッティ研究所AAT:Mannerist · ロンドン・ナショナル・ギャラリー:Bronzino
マニエリスムの建築とは?
マニエリスムの建築とは、16世紀の建築に現れたマニエリスムの様式で、代表例はマントヴァのパラッツォ・テです。ジュリオ・ロマーノが1525年から1535年にかけて、マントヴァ公フェデリコ2世・ゴンザーガの宴と余暇のために設計・建設した邸宅で、パラッツォ・テ国際芸術文化センターは、マニエリスム様式のルネサンス・ヴィラのなかでも、とりわけ驚くべき例と呼んでいます。館内には「馬の間」「アモルとプシュケの間」「巨人の間」などがあります。ゲッティ研究所の『美術・建築シソーラス(AAT)』によれば、マニエリスムは古典的なルネサンスの理想から距離をとり、幻想性や色彩・素材の実験を特徴とする様式です。
マニエリスムの絵画はパブリックドメイン?無料でダウンロード・商用利用できる?
はい。マニエリスムの代表的な画家はいずれも1638年までに亡くなっているため、その絵画はアメリカでも、著作権が作者の死後70年で切れる日本やEUなどの国でもパブリックドメインです。無料でダウンロードでき、商用利用を含めてどんな目的にも使えます。ただし、美術作品の写真や公立美術館の所蔵品の複製について独自のルールを設けている国もあるため(イタリアなど)、販売や出版の前に商用利用のページで確認してください。
有名な絵画の選び方
ここで紹介する有名な絵画は、世界で最も広く知られているマニエリスムの絵画です。知名度は、その作品を取り上げた百科事典の記事が何言語にあるかで測り、2026年11月に確認しました。1人の画家につき3点までとしているため、エル・グレコの《聖ヨハネの幻視》と《ラオコーン》は下のエル・グレコの列で紹介しています。また、少なくとも2つの言語で項目がある絵画だけを載せています。
対象は、当サイトのカタログ、所蔵する美術館、またはWikidataがマニエリスムに分類する絵画だけです。ティツィアーノの作品はルネサンス美術に属するため、当サイトのカタログとWikidataの両方がマニエリスムに分類するものだけを含めました。ミケランジェロの《最後の審判》は、全体をきれいに写した画像がまだないため入っていません。マニエリスムとされることもあるホルバインの《大使たち》は、北方ルネサンスに含めています。
制作年、サイズ、所蔵先は、各美術館の記録とWikidataに基づいています。
誤りに気づいたらお知らせください。確認して訂正します。





























































































